日本文学史において比類なき輝きを放つ作家であり詩人である宮沢賢治は、その短い生涯の中で数多くの童話や詩をこの世に残しました。彼の作品には豊かな自然描写や深く神秘的な宗教観、そして果てしなく広がる宇宙への憧憬が込められています。その中でも特に読者や後世の人々の心を捉えて離さないのが、彼自身が作詞作曲を手がけたとされる『星めぐりの歌』です。この歌は単なる童謡や愛唱歌という枠を超え、宮沢賢治の深遠な宇宙観や天文学に関する膨大な知識、そして彼が理想とした調和の世界を象徴する重要な作品として位置づけられています。本記事では『星めぐりの歌』の歌詞に込められた意味や登場する星座の天文学的な背景、そして彼の代表的な童話作品の中でこの歌がどのような役割を果たしているのかについて詳細な解説を行います。宮沢賢治が夜空の星々を見上げながらどのような世界を思い描いていたのか、そのロマンチックでありながらも科学的な裏付けを持った星々の物語を深く掘り下げていきましょう。
星めぐりの歌の歌詞と宮沢賢治の天文学的知識の解説
宮沢賢治は幼い頃から自然科学に対して並々ならぬ興味を抱いており、特に天文学や地質学に関しては専門家顔負けの知識を持っていました。その知識は彼の文学作品の随所に散りばめられていますが、『星めぐりの歌』の歌詞には彼が夜空を観察して得た天文学的な事実と、神話や伝承から着想を得た幻想的なイメージが見事に融合しています。ここでは歌詞に登場する様々な星座や星々に焦点を当てて詳しく解説します。
「あかめだまのさそり」と「あおいめだまの小いぬ」が象徴する星々
『星めぐりの歌』の冒頭は「あかめだまのさそり」という印象的なフレーズから始まります。この「あかめだま」とは、夏の夜空を代表する星座であるさそり座の一等星アンタレスを指しています。アンタレスは赤色超巨星であり、肉眼で見てもはっきりと赤く輝いているのが特徴です。アンタレスという名前自体が「火星に対抗するもの」という意味を持っており、赤い惑星である火星と天球上で赤さを競い合うように輝くことから名付けられました。宮沢賢治はこの赤く燃えるような星をさそりの「目玉」に見立てることで、夏の夜空の情熱的でダイナミックな姿を表現しています。続く「ひろげた鷲のつばさ」は、わし座のアルタイルを中心とした星の並びを描写したものです。アルタイルは七夕の彦星としても知られており、天の川の岸辺で力強く翼を広げて飛ぶ鷲の姿が鮮やかに目に浮かびます。そして「あおいめだまの小いぬ」は、冬の星座であるこいぬ座の一等星プロキオン、あるいはおおいぬ座の一等星シリウスを含む表現と考えられます。シリウスは全天で最も明るい恒星であり、青白く鋭い光を放ちます。赤いアンタレスと青い犬の目玉という色彩の鮮やかな対比は、宮沢賢治の詩的な色彩感覚の豊かさを証明しています。
「へびの目玉」と「オリオン」の対比が描く夜空のドラマ
歌詞の第二連では「へびのめだま」や「オリオン」といった星座が登場します。「へびのめだま」は、夏の星座であるへび座やへびつかい座を構成する星々を指していると解釈されます。へびつかい座は巨大な星座であり、医学の神アスクレピオスが巨大な蛇を掴んでいる姿を描いています。この蛇の頭部にあたる星々が暗闇の中で妖しく光る目玉として表現されており、夜空に潜む神秘的で少し恐ろしい側面を垣間見せています。それに対比されるように登場するのが「オリオンは高くうたひ」というフレーズです。オリオン座は冬の夜空の王者とも呼ばれる非常に目立つ星座であり、中央に並ぶ三つ星やベテルギウス、リゲルといった明るい星々が特徴です。ギリシャ神話における狩人オリオンの雄々しい姿が、夜空高くで誇り高く歌を歌っているかのように擬人化されています。蛇の不気味さとオリオンの力強さという対照的なモチーフを並べることで、宮沢賢治は天球という巨大な舞台で繰り広げられる神話的なドラマを読者の脳裏に直接描き出しているのです。
「大ぐま」と「小ぐま」が示す北の夜空の道標
第三連に登場する「大ぐま」と「小ぐま」は、北の夜空を一年中回り続けるおおぐま座とこぐま座を指しています。おおぐま座の腰から尻尾にかけての七つの星は北斗七星として非常に有名であり、古代から洋の東西を問わず人々の生活や航海の道標として重要な役割を果たしてきました。一方のこぐま座の尻尾の先には、現在の北極星であるポラリスが輝いています。地球の自転軸の延長線上に位置するため、北極星は常に北の空の同じ位置に留まり、他のすべての星々がその周りを日周運動で巡ることになります。宮沢賢治はこれらの星々を「つるぎをかざしてめぐる」と表現しています。これは北斗七星の柄の部分を剣に見立てたものと考えられ、宇宙の中心である北極星を守護しながら永遠にその周囲を回り続ける大熊と小熊の姿を勇壮に描き出しています。この表現からは、宮沢賢治が宇宙の秩序や運行の法則に対して抱いていた畏敬の念を感じ取ることができます。
「アンドロメダ」と雲が織りなす幻想的な情景
最後の連では「アンドロメダのくもは」というフレーズが登場します。アンドロメダは秋の星座であり、ギリシャ神話に登場するエチオピアの王女アンドロメダの姿を描いたものです。ここで語られている「くも」とは、地球の空に浮かぶ水蒸気の雲のことではなく、アンドロメダ座の方向に位置する巨大な渦巻銀河である「アンドロメダ銀河(アンドロメダ大星雲)」を指していると考えるのが自然です。肉眼や小口径の望遠鏡で見ると、アンドロメダ銀河はぼんやりとした楕円形の雲のように見えます。宮沢賢治が生きた時代は、ちょうどこの「星雲」が我々の天の川銀河の内部にあるガス雲なのか、それとも天の川銀河の外にある独立した巨大な銀河(島宇宙)なのかという天文学上の大論争が行われていた時期と重なります。宮沢賢治は最新の天文学の知識に触れながら、この遠く離れた星々の集団を「魚のくちの形」と表現し、宇宙の深淵に漂う神秘的な存在として詩の中に永遠に閉じ込めました。このように『星めぐりの歌』は、単なる星の名前の羅列ではなく、一つ一つの星や星座に対する深い理解と愛情、そして卓越した想像力によって織り上げられた壮大な宇宙のタペストリーなのです。
星めぐりの歌と宮沢賢治の代表作における役割の解説
『星めぐりの歌』は独立した一つの歌として存在するだけでなく、宮沢賢治が執筆した複数の童話作品の中で非常に重要な役割を担って登場します。物語の中で登場人物たちがこの歌を歌うとき、そこには単なる情景描写以上の深い意味が込められています。ここでは宮沢賢治の代表作である『双子の星』と『銀河鉄道の夜』を取り上げ、物語の構造やテーマとこの歌がどのように結びついているのかを解説します。

童話『双子の星』におけるチュンセ童子とポウセ童子の歌
『双子の星』は宮沢賢治の初期の童話作品であり、天の川の西の岸に住む双子の星の精、チュンセ童子とポウセ童子を主人公とした物語です。彼らの仕事は夜空の星々がそれぞれの軌道を正しく巡ることができるように、銀笛を吹きながら『星めぐりの歌』を歌うことでした。この物語の中で『星めぐりの歌』は、単なる娯楽のための音楽ではなく、宇宙の秩序を保ち、星々の運行を司るための神聖な儀式としての役割を帯びています。チュンセ童子とポウセ童子は彗星の騙し討ちに遭って海に落とされたり、大烏の星と争ったりと様々な試練に見舞われますが、彼らは常に純真な心を失わず、自己犠牲の精神を持って他者を助けようとします。彼らが困難を乗り越えて再び空に戻り、平和を取り戻した夜空で高らかに『星めぐりの歌』を奏でる場面は、宮沢賢治が理想とした「自己を犠牲にして他者の幸福を願う」というテーマを美しく象徴しています。童子たちの吹く銀笛の音色と『星めぐりの歌』の旋律は、調和のとれた平和な宇宙の響きそのものとして描かれているのです。
名作『銀河鉄道の夜』の中で響く星祭りの夜の旋律
宮沢賢治の未完の代表作であり、現在でも多くの人々に愛読されている『銀河鉄道の夜』においても、『星めぐりの歌』は非常に印象的な形で登場します。物語の冒頭、主人公のジョバンニが住む町では「ケンタウルス祭」という星祭りが開催されています。子どもたちが烏瓜のランタンを持って川へ向かう中、どこからともなく『星めぐりの歌』の口笛が聞こえてきます。この祭りの夜の幻想的な雰囲気の中で響く歌は、ジョバンニがこれから体験することになる生と死の境界を越える銀河鉄道の旅へのプレリュード(前奏曲)として機能しています。また物語の終盤、銀河鉄道の旅を終えたジョバンニが現実世界に戻り、親友のカムパネルラが川で溺れた子どもを助けようとして命を落としたことを知る場面でも、星空を見上げるジョバンニの心の中にこの歌の情景が重なります。『銀河鉄道の夜』全体を貫く「本当の幸いとは何か」という深遠な問いかけに対して、『星めぐりの歌』が描く永遠に巡り続ける星々の姿は、人間のちっぽけな生と死を超越した大いなる宇宙の摂理を暗示しているかのようです。
宮沢賢治自身の作曲による音楽的特徴とヨナ抜き音階
『星めぐりの歌』は歌詞だけでなく、そのメロディも宮沢賢治自身が作曲したと伝えられています。宮沢賢治は幼い頃から音楽に親しみ、大人になってからはレコードを収集したり、自らチェロを購入して演奏の練習に励んだりするほど音楽を愛していました。彼が作曲した『星めぐりの歌』のメロディには、日本の伝統的な民謡や童謡に多く見られる「ヨナ抜き音階」が用いられています。ヨナ抜き音階とは、西洋音楽の長音階から第四音(ファ)と第七音(シ)を抜いた五音音階(ド・レ・ミ・ソ・ラ)のことです。この音階を用いることで、西洋の讃美歌のような荘厳さを持ちながらも、どこか懐かしく、日本人の心に深く染み入るような独特の哀愁を帯びた響きが生まれています。宮沢賢治は専門的な音楽教育を受けたわけではありませんでしたが、彼の中に蓄積された膨大な音楽体験と豊かな感性が、この素朴でありながらも宇宙的な広がりを感じさせる美しい旋律を生み出したと言えます。現在でも多くのアーティストや合唱団によってカバーされ、映画やアニメーション作品の挿入歌としても使用され続けている理由は、この普遍的で心を打つメロディと歌詞の完璧な調和にあるのでしょう。
星めぐりの歌と宮沢賢治の解説まとめ
今回は日本を代表する作家である宮沢賢治が作詞作曲した『星めぐりの歌』について、その歌詞に込められた天文学的な意味や、彼の代表作の中で果たしている役割、そして音楽的な特徴など様々な角度から詳細に解説しました。彼の作品を読むことで、私たちが何気なく見上げている夜空がどれほど豊かな物語と神秘に満ちているかに気づかされます。
星めぐりの歌宮沢賢治解説のまとめ
今回は星めぐりの歌の宮沢賢治による解説についてお伝えしました。以下に、今回の内容を要約します。
・宮沢賢治は深い天文学の知識を持ちそれを文学作品に融合させた
・歌詞のあかめだまのさそりはさそり座の一等星アンタレスを指す
・あおいめだまの小いぬはシリウスやプロキオンの青白い光を表現している
・へびのめだまはへび座やへびつかい座の妖しい光を擬人化したものである
・オリオンは高くうたひという表現で冬の星座の王者の力強さを描いた
・大ぐまと小ぐまは北極星を中心に回るおおぐま座とこぐま座である
・つるぎをかざしてめぐるという表現で宇宙の秩序と運行の法則を示した
・アンドロメダのくもは当時の最新天文学であるアンドロメダ銀河を指す
・童話双子の星ではこの歌が星々の正しい運行を保つ儀式として描かれる
・チュンセ童子とポウセ童子の吹く銀笛の音色が調和の世界を象徴している
・銀河鉄道の夜ではケンタウルス祭の夜に口笛として響き渡る
・銀河鉄道の旅の始まりを告げる幻想的な前奏曲の役割を果たしている
・メロディは宮沢賢治自身が作曲しヨナ抜き音階が用いられている
・ファとシを抜いた五音音階が日本人にとって懐かしく哀愁のある響きを生む
・現代でも多くのアーティストにカバーされ世代を超えて愛され続けている
宮沢賢治が残したこの短い歌の中には、広大な宇宙の真理と人間への深い愛情が込められています。夜空を見上げる機会があれば、ぜひこの歌のメロディを思い浮かべながら星々の瞬きに耳を澄ませてみてください。きっと今までとは違う新しい夜空の風景が広がって見えるはずです。


